MIKAMI'S REPORT 006

RALLY MONGOLIA 2017

VOL.4

MIKAMI’S REPORT 006-4

草原の国、モンゴル。この国で、日本の主催者が開催しているラリーが「SSER FA COAT ラリーモンゴリア」だ。ラッキーなことに、このラリーに参戦できることになった元FRM編集長・三上勝久。初参戦のレポートをぜひ読んでほしい。全4話。

MIKAMI’S REPORT 006

RALLY MONGOLIA 2017

VOL.4

低体温症になりそうな寒さ

 SS・1のフィニッシュ後に給油して、SS・2まで約100㎞の舗装路移動。雨はさらに強くなってきいて、しかも寒くなってきた。数日前は熱中症になりそうな気温だったが、今度は低体温症になりそうなくらいの寒さだ。

 ガソリンを入れて休憩していると、韓国人のジン君がやってきた。彼はレインウエアを持ってないらしくずぶ濡れだ。大丈夫かよ、この気温で……と思うがさすがタフなライダーだ。ガソリンスタンドのスタッフや客にビニール袋やレインウエアを譲ってくれないかと交渉している。彼ならきっと、最後まで走ってくるだろう。

 SS・2は約160㎞。途中雨がやんで気持ちよく走れる区間もあったが、しかし大きな水たまりが多くペースは上がらない。ほぼ誰にも会うことなく、たんたんと走る。小さなミスコースはあったものの無事にフィニッシュ、街に出てガソリンを給油する。

 かなり強く雨の降っていたなかでの給油で、支払いをしようとして額の大きなお札を店員に出すと、僕の財布をのぞき込んで「ぴったりでくれ」と言ってくる。雨の中、建物と給油機の間を往復したくない、という仕草だった。確かに、ごもっともだ。日本でガソリンスタンドの店員がそんなことを言ってくることはまずないが、こうしてお互いにメリットになることをしっかり気軽に言い合えるカルチャーって案外いいよな、と思ったりもした。

 40㎞ほど舗装路を走って、著名な観光地であるハラホリン(カラコルム)郊外にあるビバークに到着。ジン君はどうやら、SS・1のあとのガソリンスタンドからあさっての方角に行ってしまったようで「見てないか」と数人のスタッフから聞かれた。

 ビバークは立派なレストランのあるツーリストキャンプで、ゲルの中の薪ストーブを焚いてブーツやウエアを乾かす。ゲルはリタイアした佐藤さん、ETAP・5でマシントラブルでリタイアした三好さんらと一緒だった。とにかく寒いので、シャワーを浴び、レストランで食事をしてさっさと寝ることにした。コマ地図は明日の朝巻けばいい。

大地と青空の間

 ETAP・8。ついに最終日となった。そして、晴れた。すぐ近くに、世界遺産に指定されているモンゴル最古の寺院、エルデネ・ゾーがあるらしい。SSのスタートへと至るリエゾンの途中にそれらしき寺院があったが、止まって観光している時間はなかった。

 晴れたモンゴルの草原は、本当に美しくて、心が洗われるようだ。とくにまだ太陽の位置の低い朝夕は、日射しが草についた朝露に反射して、まるで宝石に囲まれているかのような芸術的な風景となる。風は冷たくて少し寒いけれども、それすら気持ちよく感じられる清々しさだ。

 ビバークからSSのスタート地までは約52㎞の舗装路。ラリー・モンゴリア2017の最終SSとなる今日のSSは約140㎞。それを終えると、あとは210㎞ほど舗装路を走り、ウランバートルへと帰って行くことになる。最後の最後、30㎞弱はウランバートル市内でのパレード走行となる。

 前述した通り、この日は本当に、光と緑に溢れた美しい1日となった。草が少ない茫漠とした荒野が広がるゾーモット付近に比べると、このあたりは草原が多く、また動物やゲルも多い。

モンゴルはカウボーイたちの国だ。バイクや馬で、牛や山羊を追って移動する遊牧民たちに多く出会ったが、彼らは本当に格好よかった


 思えばこの1週間、じつに多くの動物たちと出会ってきた。馬、山羊、羊、牛、犬、ラクダ……。水が少ない砂漠では、止まっていると小鳥が僕のブーツのつま先にのってきてこぼれた水の粒をついばんでいたりしていたのが懐かしく思える。

 最初に来たときにはどこまでも大自然に見えていた大草原の風景も、人口が多いエリアとそうでないエリアでは違うことに気がつくようになっていた。ウランバートルに近づくと、やはり人の手が入っている場所が多いように感じるのだ。小屋や建物、標識なども増えてくる。

水没するほど深い川

 途中、ややわかりにくいところでミスコースしたのだが、その場所もじつに美しかった。湿原のなかに美しい草花が咲いていて、道の横を本当に透き通った、美しい水の流れる小川があった。可憐なシロツメクサが咲き誇っていて、幻想的な風景だった。

 これまでモンゴルではあまり見ることのなかった小高い木が茂る林の中を抜け、山肌を駆け上がる。すると、360度草原に囲まれた素敵な眺めの斜面に出た。目に映る大地はすべて緑、そしてその上は絵の具をこぼしたかのような真っ青な空だ。道は荒れているけれども、でも、こんな美しい風景の中を走れるなんて!

 モンゴルには、バイク少年たちのやりたいことのすべてがある、と思った。

 とにかく毎日、どこまでも永遠に続くダートを走り続けられる。誰もいない草原で、思いっきりゴロゴロできる(そんなヒマはなかったけど)。旅なら、そこでキャンプも出来るだろう。そして、誰もいない道で奥田民生のイージューライダーを歌うことも出来る。出来ることなら、この草原に今度はラリーではなく遊びに来て、みんなでピクニックとバーベキュー、キャンプをしたら素敵だろうなあ、なんて思っていた。

ETAP-8、最後のタイムチェックで待っていてくれた芦葭さん(右)とモンゴル人スタッフたち。毎日ご苦労さまでした!


 坂を登り切ったら、崖っぷちの岩場に最後のチェックポイントがあった。ラリー・モンゴリアのタイムチェックには、小林さんや芦葭さんらSSERでおなじみのライダーたちが毎日待ってくれていた。

 彼らにビバークで会うことはない。なぜなら、彼らは毎日、チェックポイントから翌日のチェックポイントへと直行するからだ。モンゴル人のスタッフと数人で、夜暗いうちにチェックポイントに移動して、キャンプして選手たちを待ち続けているのだ。それって本当すごい! そしてありがたい!

最終日に待っていた、水没しそうな深い小川。韓国人選手のうち1 名が水没していた模様

山を下りた先で、雨のおかげで出来た深い川があり、ライダーが数人溜まっていた。ここで水没したくはないので、一度バイクを降りてブーツで歩いて見たら、膝上まで水が来るほどのかなりの深さだ。しかも滑って転び、流されそうになった。

 比較的浅そうなラインを選んで無事に渡り、ほっとするとまみちゃんがやってきた。僕が無事渡れたラインを指さすと、元気のいい開けっぷりで無事に渡って行った。

 そして、そのあと、しばらくまみちゃんと一緒に走ることになった。最後のSSのゴールに向かって、緑一色の風景の中をハイスピードで走って行く。

ラリーだからこそ

ETAP-8 の最後はウランバートル市内のパレードランとなった。警察の先導で、信号でも止まることなくチンギス・ハーンホテルまで一気に走ることができた。ウランバートル郊外までは雨だったが、まるで完走した選手を祝福するかのように青空が見えてきたのが嬉しかった!
チンギス・ハーンホテルに到着直後、すぐに表彰が行われた(正式な表彰式は別にホテル内で行われた)。左からMOTO 部門3 位のBATTUR BAATAR(モンゴル・KTM500EXC)、優勝のRYU MYUNG GU(韓国・KTM500EXC)、そして2 位に入った尾島嘉男(日本・KTM530EXC)

 たまんねえなあ、と思う。ラリーも、モンゴルも、本当たまらなく魅力的だ。

 僕や、僕の仲間のようにBAJA1000やエンデューロが好きなライダーたちにとっては、ラリーは少し違う世界だ。もちろん、ツーリングライダーにとっても違う世界に見えるだろう。

 だけど、いやあ、行けることなら一度行ったほうがいいと思う。BAJA1000を走ったことのあるライダーなら、きっとハイスピードダートが8日間も続くこのラリーは珠玉の経験となるはずだ。簡単に言えば、BAJA1000の2区間くらいが8日間続くと考えればいい。

 ビギナーも、ビビることはない。ルート、SSには凄いテクニックがないと乗り越えられないような場所はないからだ。むしろ、速いスピードで走れるライダーのほうが、より大きなリスクを抱えてしまうラリーだと言える。過去に本誌でもお馴染みのイシゲ(池田智泰)がこのラリーでクラッシュし、意識が長期に渡って戻らない事件があったが、本当、もの凄いスピードが出るのだ。

 僕も数回150㎞/h近辺の速度で走っている時間があって「なにかあったら死ぬな」と思った。ビッグタンクマガジンの春木が、僕が出発する前に「レースをしないこと」というメッセージを送ってきた理由が、現地を走ってみてよくわかった。

 だが、勘違いしないで欲しいのは、このラリーが特段危険だというわけではないことだ。東京の街を走るのも危険だし、日本の狭い林道を飛ばすのも危険だ。だが、モンゴルの大地ではスピードがひとまわり、ふたまわりも速くなるので、そこでクラッシュするとダメージも大きい……ということだ。

 また、高いスピードでは、マシンに加わる衝撃も大きなものとなる。そのため、国内のラリーでは問題のない箇所でトラブルが発生することもある。時速40㎞でギャップに突っ込むのと、120㎞で突っ込むのではマシンにかかる負担は大きく異なるのは当然だ。僕はそれで失敗したが、うなぎ工房でマシンを製作したまみちゃんはもちろん、原君や篠原さんなど経験のある選手たちはほとんどトラブルがなかった。やはり餅は餅屋、ということだろう。

やりくりしてでも行くべき

MOTO クラス11 位、レディースクラス優勝の井出川まみ。ダカールへの一歩近づいた!

 1つ、ハードルになるのが参戦コストだろう。今年の場合だが、エントリーフィーが最安で59万8000円(早期に申し込むと安くなる)、ビークルフィーと呼ばれるマシン輸送費が400㏄以下で35万円、400㏄超で38万円。つまり僕と同じく690で出るならこれだけでまず100万円弱かかる。

 マシンの制作費はまちまちだと思うが、これから始める人であればマップケース、ラリーコンピュータ、ビッグタンクなどでそれなりの費用がかかるだろう。他にハンディGPSとイリジウム携帯のレンタルフィ(2〜3万円)、SPOT(GPSを利用した位置探索システムで、初回の参戦者には携帯が義務づけられる)のレンタルフィが3万8000円など地味に経費がかかる。

 これに加え、モンゴルへの航空券代、ラリー前後の宿泊や食費、保険代金なども必要だ。SSERで提携しているツアーは20〜25万円程度、保険代は最安で4万円前後だ。

 つまり、トータルでの参戦費用はマシンの改造費を除いて130〜140万円程度かかる、ということになる。さらに、松山までマシンを輸送する輸送費、または移動費も必要だ。

 それだけの価値があるか? と言われたら、僕ははっきり断言できる。あるよ! とね。一度は行った方がいいか?と聞かれたらこう答える。絶対行った方がいい! ってね。

 じつは、僕もこの参戦費用を捻出するのにとても苦労して、様々な工夫でコストダウンした。マシンの改造は本当にマップケースとトリップメーターの装着だけでしかも自分で行ったし(トラブルもあったわけだが)、GPSも1万円ちょっとの安い機種で済ませた。

 ビッグタンクは買えないので、パニアケースに携行缶を入れている方法で凌いだ。ウランバートルへの飛行機はインターネットで安いチケットを探して10万円以下で済ませたし、ウランバートルでの宿は1泊1500円のゲストハウスに宿泊していた。

なんとしても行くしかない

前回はGS で参加したという韓国のLEE JAE SUN。2014 BMW INTERNATIONAL GS TROPHY 韓国代表ライダーの1 人だ。今回はKTM450RALLY で参戦

 もちろん、ベストはマシン製作をうなぎ工房やミサイルファクトリーなどに依頼し、現地の宿泊はSSER提携のツアーに申し込むことだ。僕は宿代をケチったため、車検日とその前日はホテルと宿を歩いて何度も往復するハメになって、なんと車検日前日は1日で14㎞も歩いてクタクタになってしまった。

 マシン製作も、経験のない僕が作ったものだったので途中で破損したりして苦労したり、周囲に迷惑をかける結果になった。とくに石原さん、原君、篠原さん、まみちゃん、尾島さん、小川さんらに大変助けて頂いた。本当にみなさんありがとうございました。

 しかし、逆に言えば、そんなケチケチ体制でも完走は出来る。素晴らしい大自然のなかでのエキサイティングな体験を得ることができる。なんで今まで来なかったのだろう、というくらい素晴らしく充実した日々が体験できる。

 多くの日本人は、アジアというと東南アジアに目を向けがちだ。若い人たちが、韓国やベトナム、タイ、インドネシアなどに旅行してきた……という話はよく聞くが、モンゴルに行ってきた、という話はほぼ聞かない。

 僕は今回、成田から直行便でたった5時間半の距離に、こんなに素晴らしい場所と土地を抱くモンゴルという国があることを知って、目を見開かされた想いだった。それまでモンゴルに持っていた知識は相撲とチンギスハーンくらいで、まったく親しみは感じていなかった。

 しかし今では違う。優しく、しかも親日家が多いモンゴルの人々。雑然とはしているけれども、ヨーロッパ的な美しさもある素朴な街並み。草原で馬や牛、山羊を追う、スタイリッシュなカウボーイたち。草原のゲルに済む、無邪気な子供たちと、素晴らしい笑顔の人々。僕はすっかり、モンゴルのファンになってしまった。また行きたい。また走りたい。それが素直な気持ちだ。

 モンゴルを知らないあなたにも、ぜひ訪れて知って欲しい。心からそんなことを今、考えているのだ。

ETAP-1をフィニッシュし、パルクフェルメされたバイクの向こうに陽が沈んでいく。この時間、まだ走っているライダーもいた

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