MIKAMI'S REPORT Vol.3

INTERNATIONAL GS TROPHY 2008

「 砂漠の人 」

第3話(全5話)


MIKAMI’S REPORT 003

MIKAMI’S REPORT Vol.3

INTERNATIONAL GS TROPHY 2008

「 砂漠の人 」

第3話(全5話)


当コラムについてSJ編集長からのちょっとしたご案内

ボクがオフロードバイク/レースの世界に足を踏み込むきっかけとなった、ある雑誌があった。FRM(フリーライドマガジン)。既存の商業誌とは一線を画し、自らの体験を通した自身の言葉で表現されるその記事一つ一つが、圧倒的な存在感を放つ雑誌だった。しかも驚くことに、ほぼ一人でこの出版を続けてきたのだ。編集長、三上勝久。今年、ついにその雑誌を休刊させることになった彼に、入れ替わるようにスタートした当ジャーナルへの参画をお願いした。まずは、その伝説的な雑誌の過去記事を紹介していこうと思う。上質なヴィンテージが時を経て魅力をますように、オフロードバイクのことなど知らない人にとっても、その冒険的なエッセンスを感じて欲しい。

モーターサイクルで行く冒険の旅に憧れていたり、あるいはすでに実行しているライダーなら、きっと知っているだろうイベントの1つが「BMW MOTORRAD INTERNATIONAL GS TROPHY」だ。ここでは、全4回にわたり、その第1回インターナショナルGSトロフィ・アフリカ大会の模様を元FREERIDE Magazine編集長の三上勝久がレポートしていく。今回は第3回(全5回)。

砂丘になじむ

砂丘でのスキルテストを終えたあと、僕たちは砂丘を下りて、しばらくは固くしまった地面をたどるルートを走ることになった。時折、柔らかい小砂丘が道をふさいでいるが、なんてことはない。そして、ほんのわずかだけ走ったところでキャンプとなった。翌朝、ここから始まる砂丘の上り坂でスキルチャレンジを実施するという。スタッフたちは、そのルート作成にすぐに取りかかったようだ。

砂丘の一等地、一戸建て。眺望、日当たりよし! 砂漠徒歩0分

僕らは、カミオンに積まれていた荷物を受け取り、テントをたてる。テントもマットも、寝袋も、そしてそれらを収納するギアバッグもすべて支給品だ。BMWのカスタムパーツで知られるツアラテックのスポンサードによるもので、すべてにツアラーテックのロゴが入っている。支給品とは言っても、どれも安っぽいものじゃない。

テントとシュラフは、きちんとした山岳用品メーカーであるMSR製だし、マットも一流品として知られるサーマレストのウルトラライトだ。ほかにLEDのヘッドランプ、コンパス、そして僕ら全員が着用しているBMW純正のラリースーツもすべて支給。こんなに恵まれた旅は、そうあるもんじゃない。

みんな、思い思いの場所にテントを立てていく。僕も、砂丘しか見えない一等地にテントを立てた。マットを敷いて、ジッパーを開いてみたら、テントの窓ごしに見える風景は砂丘だけだった。とても非現実的な場所にいるはずなのに、わずか数日いるだけで、砂丘の風景は当然のものとして僕らのなかにとけ込んでいた。

空、星

砂漠のなかでのケータリング。やがて周囲の砂丘は闇に消えゆき、そして満点の星が落ちてくる

日が傾くまでは、砂丘に設定されたルートを歩いて下見したり、写真を撮ったりしていてあっという間に時間が過ぎていった。その間に、カミオンの横にテーブルと椅子が出され、美味しい食事の香りが漂ってきた。

食事は肉と豆を煮たものと、ワイン、それにパン。発電機の音をBGMに、これまであまり会話を交わすことのなかった今回唯一女性スタッフのレスリーや、ドイツのMO Magazineのティモなんかと話をしながら食事をする。

会話の内容は、もちろん、今日の走りのこと。オリエンテーリングで、ミスコースして逆戻りしたこと。平野さんも、松井さんも、みんないい顔だ。食事の最中に、用を足すためにちょっと席を離れて暗がりに足を踏み入れたとき、頭上に満点の星空が輝いていることに気づいた。

遠くで、遅くまで盛り上がっているドイツチームの声が聞こえる。スペインの巨漢で既に「ムーチョガス」(Mucho Gas!、全開!って意味)ってあだ名のついた大男がテントのなかで寝床を作ってる。もう、大いびきをかいて寝ているヤツがいる。

僕はしばらく待って、写真を撮り始めた。感度を変え、露出を変え、なんとかこの天の川と砂丘を写真に収めたいと思いながら。しばらく、夢中になって写真を撮っていたら、やがて地平線の砂丘の間から月が昇ってきた。

凄く明るい。その明るさのせいで星が消えてしまうほどだ。数枚写真を撮って、テントに入ったら、張ったときにはきれいだったテントの床はどこにマットがあるのかわからないほど砂にまみれていた。やれやれ。

レース

スキルテストは朝一番で始まった。

砂丘のなかに設定された1kmあまりのルートを、各チームごと全員でスタートして走る。チームで最後にフィニッシュしたライダーのタイムがスコアとなるルールだ。

一般チームの加地、原、平野さんの3名には先に行ってもらい、メディアチームの3名があとを追うことにした。まだ夜が明けたばかりの砂丘の表面は、水を吸って湿っていて、昼間とは全然違う。これなら、そんなに苦労することもなさそうだ。
僕は最後尾でスタートした。無我夢中で、松井さんの後ろを走っていたのがまずかった。松井さんが詰まったところで僕もささってしまったのだ。すぐにリカバリーできたが、やっぱりまだ誰も走っていないラインを走ったほうがいいんだなあ、と反省。

しかし、途中で他のライダーがスタックしていたこともあって、ほぼ同じようなタイムで全員フィニッシュ。松井さんの真後ろについていた僕のバイクは、まともに湿った砂をかぶったせいでまるでチョコレートケーキのように真っ茶色になっていた。

そのあとは、また砂漠のなかの道の移動となった。「砂漠にはないようで道がある」とパリダカ経験の豊富なラリースト、三橋淳から聞いていたが、その通りだ、と思った。一見、砂丘だけで道なんてないように見えるこんな場所でも道はある。ルートには見えなくても、なんとなく、ああ、これが道なんだなって走っていると感じられるのだ。

砂漠から出てきた道が舗装に突き当たったところに、小さなカフェがあった。サポートライダーの1人のバイクがパンクしたらしく、しばらくそこで休憩となった。カフェには、HPNという珍しいバイクで旅をしている2人連れのドイツ人がいた。3週間の行程で、サハラを旅しているのだそうだ。ドイツチームのグイドは彼らと知り合いらしく、楽しそうに会話を交わしていた。旅慣れているドイツ人にとって、チュニジアは決して近くはないけど、遠い場所でもないようだ。

「ここから先は、水はガソリンと一緒だ。水の補給は出来ないから、今カミオンに積んである水だけで全員が生活することになる。手を洗ったり、顔を拭いたりするのに水を使うのは厳禁だ。水をリスペクトしなさい」とベペが何度も繰り返している。イタリア人のベペは「リスペクト」という言葉を凄く多く使う。「バイクをリスペクトしなさい。君たちの乗っているバイクは、ストリートバイクであってレースバイクじゃない。それで砂漠を乗り越えるのも、君たちの役目だ。砂漠をリスペクトし、バイクをリスペクトしなさい!」はい、隊長!

その先の、宿泊地までのルートは固い地面の上を小砂丘が横切る、これまでと似たものだったが、日が高くなってきたせいか砂がじつに柔らかくなっていて手強い。ルートを間違って速度を落とすとスタックしてしまうし、でも速度を出しているとコントロールが難しい。僕などは、どうしても速度で乗り切ってしまおうとしてしまうのだが、そうしていると時折ジミー・ルイスがやってきて「もっと速度を落とせ」とアドバイスする。ゆっくり、スタンディングでコントロールしろって言う。
アメリカチームは、事実上のチームリーダーになっているジミー・ルイスはもちろんのこと、全員のスキルが高い。以前から知っていたサイクルワールド誌のライアン・デューディックは、アメリカのエンデューロクロスというプロレースに出てるくらいだからうまいのは当然だ。

だが、コロラドのディーラーから来たブラッド・ヘンドリーもうまい。AMAのロードレースにトライアンフで参戦しているロードレーシングライダーだそうで、ダートでのトレーニングもかなり積んでいるそうだ。

日本のライダーもみんなうまく、ハードなトレイルをトラブルなく乗りこなしていく。もちろん、誰もがときどきはクラッシュしたりするわけだが、すぐにリカバリーして走っていく。とくに平野さんは、スタンディングしていても座ってるのか立ってるのかわからないくらい小柄なのに(失礼)じつにスイスイとF800GSを走らせていく。誰でも、時々深いワダチでスタックする。足場が悪いと、バイクが重いから傾いてそのまま倒れてしまったりする。山田さんも、それを繰り返していた。
空気が乾燥しているせいで、走っている限りさほど暑さは感じないのだが、気温は35度を超えている。止まって、バイクを押せばやはり暑い。

だけど、最後尾を走っていると、最後に追いついてくるスタッフライダーとアメリカ人たちが休ませてくれなくなる。転倒すると、親切心からだろうが、すぐに駆け寄ってきて「ほらイケ! そらいけ!」とプッシュするのだ。僕はジャケットの袖をとって走っていたのでさほど暑くないが、山田さんはきっちりと着込んでいる。ヘルメットの中の顔が赤くなっていて苦しそうだ。

休み休み進むが、疲れもあってか、転倒した際に手首を痛めてしまったようで、山田さんが次の休憩ポイントからクルマに乗ることになった。

この日から、他の国からもリタイアするライダーが出るようになっていた。一番威勢のいい走りをしていたスペインチームの「ムーチョガス」は砂丘で前転して肋骨を痛め、リタイア。ドイツ人のティモは「もうエネルギーが空だよ。力が入らなくてどうにもならない。キミたちはオフロードの経験があるからいいけど、オレにはハード過ぎる」と笑いながらリタイア。
彼らはサポートのランドクルーザーに乗って、一緒に旅を続けることになった。

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