MIKAMI'S REPORT 003

HELLO RUSSIA

北海道からサハリンへ向かうバイクツーリングの旅

HELLO RUSSIA Vol.3

日本の最北端と言えば、いうまでもなく北海道、稚内市の宗谷岬。今は残念ながら運航を停止しているが、その稚内からロシアへと渡るフェリーがあったことを知っているだろうか。わずか5時間フェリーに乗るだけで、元日本領の「サハリン」に渡り、そこでの旅が楽しめたのだ。そのサハリンを4回に渡って旅をした元FREERIDE Magazine編集長の三上勝久が、その旅をレポートしていく。(最終話)

MIKAMI’S REPORT 003

HELLO RUSSIA

北海道からサハリンへ向かうバイクツーリングの旅

ホテル

ユジノサハリンスクは大都会だった。幅の広い道路にクルマが溢れ、交差点にはキオスク(売店)が立っている。背の高い美しい女性が新聞を片手に道路を渡っていく。

僕らが宿泊したのは、ガガーリン公園の前に立つ近代的なホテル、ホテル・ガガーリン。ホテルの名前は1961年、ボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を成功させたユーリ・ガガーリンにちなんでいるのは間違いないそうだが、彼とサハリンの間に特に関係はないのだそうだ。

ホテル・ガガーリンは日本の地方都市によくあるビジネスホテル風で、昨日のような趣はなかった。Wifiもあるが、フロントで1000円ほどのカードを買わないと部屋では使用できない。ここで初めてロシア・ルーブルを使用した。お金はフロントの横にあるATMで引き出すことができた。

エジプトのカイロや、バハカリフォルニアのエンセナダに比べるとはるかに安全そうに見える街だが、決して油断は出来ないとガイドの伊藤はいった。とくに陽が暮れてからガガーリン公園のほうに行ってはならない、それどころかホテルの敷地外での単独行動もダメだと言う。

それくらい危険なのか、あるいは伊藤がトラブルを嫌ってそう言ったのか真意は聞き忘れたが、どうやら油断できるほど安全というわけではないようだ。外務省のホームページでは、路上強盗やスリなどの事例が紹介されている。

夜はスタッフ全員で、ホテル近くの中央アジア料理店に食事にいった。それ以外はホテルで時間を過ごした。ホテル内部は禁煙なので僕はフロントの前でタバコを吸っていたが、出入りしている人の多くは日本人、中国人、韓国人などのアジア人ばかりだった。

フリーWifiが使えるのはホテル1Fのカラオケルームの前だけで、そこに行くと、ロシア人たちがなぜかドアを開けはしたままでカラオケを熱唱していた。

ユーラシア大陸

サハリン3日目は、今回の旅において最長ルートとなった。コルサコフから舗装の国道でウズモーリエまで北上し、半島を横断して西側に出る。西側のイリンスキーからトマリ、チェホフ、ホルムスクを経て再びユジノサハリンスクに戻る……という約450㎞のルートだ。前半と最後は舗装路だが、ルートの大半はダートだ。

ダート区間は先に書いた通りまさに最高の体験だった。美しく人のいない原野の中をまさに自由自在に走れる。バイクに乗っていて一番楽しい、一番幸せと思えるのは、僕の場合、自分の望むペースで走れているときだ。3日目のこのルートでは、それが存分に堪能できたわけで、これが楽しくないわけがない。

地平線の彼方に消えていく道を、スロットルでバイクの下にかきよせるような走りを数時間繰り返した後、砂浜に出てみようという話になった。その砂浜に行くと、沖合に難破船が座礁しているのが見えるそうだ。

ダートロードから民家の脇を抜けて砂浜へと至るのだろう道へ入っていく。道はすぐに深いサンドになった。クルマも通っているらしく、ダブルトラックになっていて、ワダチの砂はとても深く重い。ハンドルがとられて、全然まともに進めない。

僕の乗るF800GS ADVはフロント21インチだし、僕はこういうところを何度も走っているからまだいい。それでも、こうした場所なんてほとんど走ったことのないだろう多聞が、足をばたばたしながらもそれなりに進んでいくのは驚きだった。

しばらく走ると、ガイドの乗る4駆のデリカが先で止まっていた。この先は厳しいと言う。まだ、砂浜も難破船も全然見えない。単に砂浜に行く途中、といった感じだ。これじゃなんのために汗をかいてここまで来たのかわからない。

僕はせめて難破船の写真だけでも撮ろうと思い、バイクを置いて砂浜まで歩き始めた。砂浜も海も丘に遮られてまだ見えないけど、でもそこにあることは感じる。

歩き始めたら、松井も一緒に歩き始めた。そのほかのライダーとスタッフはさっきのところで待っているようだ。断ったほうがいいかな?とも思ったが、みんなも一休みしたら追いかけてくるだろうと思っていた。砂浜は、結構遠かった。草の生えた砂丘を上り、下りて歩く。10分くらい歩いただろうか? ようやく美しい海の広がる無人の浜に出た。難破船なんて、なかった。

ラリースーツのジャケットは脱いできていたけど、でもオフロードブーツにライディングパンツ、Tシャツで歩いてきたので汗だくだった。最初は足だけ浸すつもりで、Tシャツと下着だけになって海に入ってみた。横で松井が笑っていた。

浜はじつにきめの細かな砂で、柔らかく、どこまでも遠浅で沖に向かっている。足を水に浸すとちょうどいい感じの温度で、ああ、これならみんな海に浸かっているのわかるなあ、と思った。

波が何度か優しく足をさらううちに、下着が濡れてしまった。もういいや、と思ってTシャツも脱ぐ。そのまま波に飛び込んだ。うっひゃあ、最高、気持ちいい!

松井も誘うと、嬉しそうに笑って服を脱いで飛び込んできた。2人でプカプカ、波間に漂いながら青い空と暮れかかる太陽を眺める。すると、今度は春木がG650GSに乗ってやってきた。全然帰ってこない僕らを迎えに来たのだろうが、「最高だぞおい!」と言うと、彼も服を脱いで僕たちの仲間に加わった。

おっさんばかりで多聞もヤニーナもいないのが残念だったが、それでも最高に楽しかった。どこまでも平らなんじゃないかってくらい遠浅で柔らかい感触の砂浜。360度、僕たちしかいない風景。そして、ひんやりとして気持ちいい海。やっぱり旅は最高だ。やっぱり自然は最高だ。逆光でよく見えない水平線の向こうに、ユーラシア大陸がはっきりと見えた気がした。

旅を終えて

旅を終えてみて、サハリンは、ロシアは、行く価値のあるところだと思った。今回は現地の人々と話す機会は皆無に近かったのが残念だが、それでも日本と世界がこれだけ近いという事実を体感できたことだけでも十分に素晴らしい。

春木がビッグタンクマガジンに書いていたが、僕らがテレビの天気予報などで日本地図を見るとき、北の端は稚内で切れているのが普通だ。西に大陸があるのは描いてある場合もあるが、四方すべて海しか描かれていない地図も多い。だから、稚内のすぐ先にサハリンがあるということ……世界が繋がっていることに気づきにくいのだろう。

また、ご存知の通り、日本とロシアは長く北方領土問題で揉めている。僕の中で、それもサハリンツーリングに余り興味が持てない理由だった。自分の行動が、国際問題になんらかの影響を与えることが嫌だったからだ。

だが、今回のツーリングしてみることで、サハリンが北方領土問題に含まれているわけではないことを理解した。北方領土問題の舞台となっているのは、知床半島の東にある択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島なのだ。

サハリン、南樺太は、第二次世界大戦終戦間際、日本に宣戦布告してきたソ連によって占領され、日本の領地ではなくなった。それまでの40年間は日本領であり40万人もの日本人が居住していたそうだ。日本とこの島の関わりは深く、記録では豊臣秀吉の時代から日本とロシアがかわるがわるこの島の領有、統治を行ってきたと言う。だが、1951年のサンフランシスコ条約以降、この地におけるすべての権利、権原および請求権を放棄している(外務省)。ただしロシアの領有権を認めているわけではなく、帰属未定地としている。だから、日本で発行されている地図を見るとサハリン南部(南樺太)は白くなっている。

ただし、邦人保護などを目的にユジノサハリンスクに総領事館を置いていることから、ロシアがサハリンを統治していることに対し、日本が異議を唱えているわけではないことが理解できる。

ああ。こうして書くと面倒くさい。現地にいってみればわかるが、この島と日本の関係は決して悪くはない。サハリンにとって日本は重要だし、密接な関係をもっていることが行けば肌で感じられるのだ。

君子危うきに近づかずじゃないが、政治的な懸念からサハリンはちょっと……と思う人がいたらそれは誤解だ。むしろ、サハリンを訪れたことで、僕のなかでの近代史への理解が1つ深まったことはとてもよかったと思う。

最終日は、ユジノサハリンスクからコルサコフへと走り、上陸した南から稚内へと向かった。マトリョーシカなど、ロシアらしい土産を買えたら良かったのだが、結局何も買えなかった。港の事務所の向かいに小さな売店があったが、そこで売っているのは特に土産物ってわけではないお菓子などだけだった。

到着したときには恐ろしげに見えた軍艦や、寂しそうなコンクリート造りの住宅が今では懐かしく愛らしい風景に見える。モンゴロイドでない、コーカソイドの人たちが住む国がこんなに近くにあったとは。身近に感じるアジアの国々と変わらない距離、いや、もっと近いところにヨーロッパがあった。

島がどんどん小さくなっていくのを眺めていると、まるでこの旅が夢であったかのように思えてきた。やがてサハリンは、濃い霧の向こうに消えてしまった。

間宮林蔵も同じ景色を見たのかな、そんなことを思いながら僕は二等客室へと向かっていった。

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