MIKAMI'S REPORT Vol.1

INTERNATIONAL GS TROPHY 2008

「 不安と期待 」

第1話(全5話)


MIKAMI’S REPORT 001

MIKAMI’S REPORT Vol.1

INTERNATIONAL GS TROPHY 2008

「 不安と期待 」

第1話(全5話)


当コラムについてSJ編集長からのちょっとしたご案内

ボクがオフロードバイク/レースの世界に足を踏み込むきっかけとなった、ある雑誌があった。FRM(フリーライドマガジン)。既存の商業誌とは一線を画し、自らの体験を通した自身の言葉で表現されるその記事一つ一つが、圧倒的な存在感を放つ雑誌だった。しかも驚くことに、ほぼ一人でこの出版を続けてきたのだ。編集長、三上勝久。今年、ついにその雑誌を休刊させることになった彼に、入れ替わるようにスタートした当ジャーナルへの参画をお願いした。まずは、その伝説的な雑誌の過去記事を紹介していこうと思う。上質なヴィンテージが時を経て魅力をますように、オフロードバイクのことなど知らない人にとっても、その冒険的なエッセンスを感じて欲しい。

モーターサイクルで行く冒険の旅に憧れていたり、あるいはすでに実行しているライダーなら、きっと知っているだろうイベントの1つが「BMW MOTORRAD INTERNATIONAL GS TROPHY」だ。ドイツの自動車・モーターサイクルメーカー、BMWが2008年から2年おきに開催してるこのイベントに参加するためには、各国で開催される予選会を勝ち抜かなければならない。そして勝ち抜いた各国・各地域の代表選手各国3名が、チームとなって世界各国のチームと技術を、知識を、各種のスキルを競い合う。開催地は大会ごとに異なり、これまでアフリカ、アルゼンチン、モンゴル、タイ、カナダ、ニュージーランド、南アフリカで開催されてきている。ここでは、第1回インターナショナルGSトロフィ・アフリカ大会の模様を、元FREERIDE Magazine編集長の三上勝久がレポートしていく。今回は第1回(全5回)。

サハラへ

あっちこっちで砂塵が舞っていた。まるで青の絵の具をきれいにのばしたように真っ青な空に、褐色の砂が海のように広がる。その起伏のそこここで、まるで水が吹き上がるように砂が盛大に空中に吐き出されている。

 僕たちは、多くのライダーたちが砂のなかで埋まっている姿を見ながら、「自分たちも早く走ってみたい」と思うと同時に「これは無理なんじゃないか」とも思っていた。僕たちの目の前に広がるサハラ砂漠の砂は、想像以上に細かく、柔らかく、そして深かった。その入り口に、僕たちは立っていた。面白いことにサハラの入り口はまるで海岸のようだった。

走っているうちに、いつのまにか風景が砂漠に変わっていく……というサハラへの入り方を僕は想像していたのだが、実際には違った。ここまでが陸地。ここからが砂漠。そんなふうに、はっきりとした境界線があった。舗装路を外れて、ちょっとだけ深い砂の道を走って防風林を抜けたら、いきなり屋根が取り払われたかのように、スコーンと空が抜けた。そしてそこに、細かな起伏の小さな砂丘が地平線まで続いている。そこが、サハラ砂漠の入り口だった。

ザフランのキャンプ。キャンプとは言え、周囲からは砂丘で完全に隠され、充実した設備が整ったホテルのような場所だ

「これから俺たちがやることについて知ってる?」

イタリア、ミラノ郊外のホテル。スタート前日に集合場所であるそのホテルについた僕は、アメリカの著名ライダーであり、ジャーナリストでもあるジミー・ルイスからいきなりそう聞かれた。待ち合わせ場所であるこのホテルに到着しているのは僕たち日本チームとアメリカチームだけ。地続きのスペイン、ドイツ、そして地元イタリアチームはまだ到着していない。

僕のところにBMWジャパンから「インターナショナルGSトロフィに参加しませんか」という誘いがあったのは8月のこと。開催は10月だったので、出発まで2カ月。ちょっと迷ったが、すぐに行こうと決めた。アフリカ大陸でバイクに数週間も乗られるなんて……しかも交通費から宿泊費まで一切合切、BMW持ちだ。こんな素晴らしい機会が、人生にそう何度もあるとは思えない。1、2日で終わってしまうような単なる試乗会じゃない。アフリカ大陸でみっちり1週間以上乗れるのだ。

なんで僕が誘われたのかと言えば、それはすでにこのイベントへの参加が決まっていた、フリーライターの松井勉さんの推薦によるものだった、と後から知った。

「砂漠のなかにほっぽっといても大丈夫で、ある程度バイクにも乗れるってヒトがそう何人もメディアにいるわけじゃないし。三上クンなら一緒に行けば、きっと星空の写真とか撮ってくれるだろうし、雑誌で凄いページ数の特集にしてくれるんじゃないかって話になったんだ」そうだ。ほとんど当たっているだけにちょっと悔しい(笑)。

僕、松井勉さん、そしてBMWのインストラクターも務める山田純さんの3名がメディア。そして、6月に浅間で開催された「インターナショナルGSトロフィ選考会」で選抜された加地守さん、原豪志さん、平野郁夫さんが日本の代表選手。この6人で構成するのが「チームジャパン」だ。

国によってやや異なるが、同じように選抜ライダー+メディアで構成されたドイツ、イタリア、アメリカ、スペイン、日本の5カ国のチームで砂漠でのスキルを競う……それが事前に発表されていたインターナショナルGSトロフィの概要。ほかに、どうやら途中はテント泊になるってこと、サハラ砂漠では1日に30kmくらいしか移動しない日もあることくらいだけが、事前に発表されていたインフォメーション。

実際にミラノからどうやってアフリカ大陸に行くのか、サハラでなにをするのかなどについては情報なし。だから、アメリカチームのジミーも、僕に会うなり「なんか情報もってる?」と聞いてきたのだ。

砂丘体験セッションは、全員で助け合わないとどうにもならないほどの地獄絵図?になった。スペインチームを助ける加地(手前)、平野(奥)

どうにもならない

サハラ砂漠に到着したのは、午後2時過ぎくらいだったと思う。朝、チュニジアのカイロウアウという街のホテルを出て、途中マタマタという遺跡を見学。そのあと、アフリカ大陸に入って初めてとなるダートをしばらく走って到着したのがクサール(Ksar)というサハラ砂漠の入り口だった。

イタリア・ミラノを出発して、ジェノバからは22時間の船旅だった。地中海を横切って上陸後、チュニジアの首都チュニスから高速道路でカイロウアウのホテルに宿泊したのが昨日だ。今日から、いよいよ砂漠とテントの日々が始まる。
僕たちを先導しているのは、パリダカをはじめとするアフリカンラリーに50回もの参戦歴をもつ「ベペ」。彼が、サハラ砂漠に着いて僕らに言った。

「まずは砂漠を体験してもらう。イージーだ。あの砂丘の先にある2台のカミオン(トラック)の横を通って、ここまで戻ってくればいい」。

300、400mほど先だろうか。僕たちをサポートしているパリダカ用のカミオンが砂丘のなかにとめられていた。そして、その右側2、300mのところにやはりサポートのランドクルーザーがとめられている。

スタート地点から、その2点を回って戻ってくればいい。距離は合わせても1kmあるかないかってくらい。走るのはチーム単位で、まずは、ドイツチームがスタートしていった。

「これはこの先もう無理なんじゃないか」

って誰もが思ったのはその直後だった。ドイツチームが走り始め、砂丘に入った瞬間にそのほとんどが埋まった。うまい具合に数100m進んだライダーもいたが、やはり柔らかに砂につかまって埋まってしまう。倒れたライダーはマシンを起こし、埋まったバイクを砂から引きだそうとするが、砂が盛大に水のように空中にわき上がるだけ。結局、スタッフや他チームのライダーが駆け寄って手伝って、やっと脱出できた。誰も、目標地点のカミオンまで満足に行けるヤツなんていない。

そのあとに続いたイタリアチーム、スペインチームも同じだった。決定的に「ダメだこりゃ」と思ったのは、アメリカチームのジミー・ルイスまでもが時折埋まっていたことだ。もちろん、彼は埋まってもリカバリーは早いが、パリダカで2位に入った経験をもつ彼ですら埋まるのだから、僕らに走れるはずがない。

やがて僕らの番になった。最初、2台のクルマを巡ってくるはずだったルートは、左のカミオンのところまで行って戻ってくればいいというふうに簡略化されていた。他のライダーたちが出て行くのを見送ってから、僕も走り出した。砂は、まるで水のようだ。フロントに強くねばりついてきて、思うように進路がとれない。なんとか、固そうな部分を探して走るが、砂丘のへりでズボっと埋まってしまって、転倒した。

幸い、復旧はラクな場所だったが、数人に手伝ってもらってやっと脱出。スタート地点までは戻って来られたものの、こんな場所をこれから数日走るのはとうてい無理だろうと思った。ライダーの体力はもちろん、マシンがもたないだろう。こんなにスタックしていたら、クラッチが滑り出す車両もいるだろうし、オーバーヒートするヤツも出るはずだ。

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