SPECIAL CONTRIBUTION

阿部雅龍 - 冒険の経済学

第1回

阿部雅龍-冒険の経済学

「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける阿部雅龍がお届けする、冒険の経済学。彼がこれまで数多くの冒険を成功させてこられたのは、周囲の手厚いサポートや応援があればこそ。若くしてプロの冒険家としての道を選択し、ここまで活躍してきた背景には、冒険とは切ってもきれない「お金」という現実と真摯に向き合ってきた結果だと彼は言います。なかなか聞くことができない冒険家の経済事情を、スタンスケープにて独占配信。 第1話(全3話)。

SPECIAL CONTRIBUTION

阿部雅龍 – 冒険の経済学

第1回

冒険は経済だ!

資本主義経済ではお金は血液と同じだ。その血液で生きているのは冒険家も変わらない。お金がなければ冒険もできない。

冒険は経済であり、ビジネスなのだ。ベンチャーという言葉がそれを証明する。ベンチャー企業という言葉は1970年にできた和製英語(※1)だが、英語圏では冒険を意味するアドベンチャーの頭音消失異形語として、1430年頃からベンチャーという言葉が用いられるようになったらしい。つまり新規事業者は冒険家に等しい。

僕の生業はプロの冒険家で、教育機関に講演で呼ばれることも多いが、子どもたちに、「お金がないと夢は叶わないよ。」とはっきりと言う。例えば、僕の次の夢である人類初ルートでの南極点徒歩到達には約1億円の費用がかかる。それを半年でほぼ集めた。今までの遠征でも多額の資金が必要だった。資金が集められないなら挑戦権すら得られない。それが現実だ。現実的な夢追い人になる必要がある。大事なことは問題から目を逸らさずに解決することだ。業界ではタブーとされている冒険とカネについて敢えて語っていこう。

まずタブーとされる理由だが、スポンサーをつけていたり、カネの話を積極的にする冒険家は、銭ゲバのように業界や人から言われる事がある。よく言われる言葉の筆頭が、「自分の好きなことは自分で稼いだカネでやれ」とか、「冒険という“遊び”に人の支援を募るな」といった言葉だ。僕のことを「夢を語ってお金を集める詐欺師」とまで言う人もいた。冒険のみならず、芸術に対しても“清貧に安んずる”思想のようなものが日本では強い。清貧自体は美しいことだし、自分の稼げるお金で出来る限りの活動をするのは素晴らしい事だ。ただ、それでは如何に素晴らしい成績を残すことができてもアマチュアの領域を出ないし、企業や人から活動に価値を認めて貰ってカネを出して貰うプロとは立ち位置も責任感も全く違う。そもそも両者では必要とされる能力も全く違う。

登山や冒険にも業界がある。この業界で飯を喰う人(例えばライターや山岳ガイド)にとってはこの業界のタテヨコの繋がりが必要とされることも多いだろう。故に業界での評判も大事になってくるだろう。日本の登山冒険業界では大学の山岳部もしくは探検部の先輩後輩のタテの繋がりというスタイルが伝統としてあり、それに対して社会人山岳会が自分のサラリーを投入し仲間のヨコの繋がりで自由に動けるスタイルで挑み、山の世界で成果を上げた時代がある。特に1964年の日本人海外渡航自由化以降、それが顕著であったように思う。つまりは社会人スタイルが確かに実力派であった時代もある。

こういった過去も考えてみると、自分の稼ぎを中心としたスタイルで確かな成果を上げていた時代もあるので、“自分の稼ぎに応じた活動をするというやり方で成果を上げる”という実例から述べられる意見でもあるのかもしれないが、明治期末期に行われた南極点到達を目指した日本初の南極探検である白瀬隊の遠征は、本来なら列強諸国に躍り出ようとし、世界に日本の威信を示すべき国家的なプロジェクトであるに関わらず、議会から予算は下賜されず、民衆のカンパを中心に資金が集められ、白瀬隊長は南極から帰国後に多額の借金を背負うことになった。明治期の探検から日本の冒険への志向性が変わっていないと言える。

例えばだが、欧米の冒険家たちは各々がプロフェッショナルであると認識している事が前提である。プロであることを意識し、支援以上のパフォーマンスを発揮する。日本ではスポンサーをつけていることが揶揄されるが、欧米ではスポンサーがついていないということは、自分の活動が社会にとって価値があると思われていない、という事を意味する。根本の考え方が違うのだ。こちらとあちらの双方の考えを理解して、自分がどこの立ち位置でやりたいかを考えねばならない。多様な価値観を知ろうとせず、自分の思い込みで決めるならば、その時点で冒険的な思考ではない。

また欧米ではエクスペディション(冒険遠征)というものをほぼ無条件に賛美する。これは欧米諸国が自国から出て諸外国を探検冒険し、征服することで領土を獲得してきた歴史があるからだろう。エベレストに登頂したときも、南極点に到達したときも、“Conquer(征服)”という言葉が使われた。明治後の日本も戦争により領土獲得をしたが、それより遥かに長い時を自国のみで過ごしてきた日本人にとってはエクスペディションが肌身に染みていないのだろう。

 とは言え、上記の理由付けをしたところで、実力だけでなくカネもないと大きなスケールの冒険は実現しない。大事なのは、エクスペディションをどう日本にローカライズするかだろう。

阿部雅龍(あべまさたつ) 1982年秋田市生まれ、潟上市(旧昭和町)育ち。「夢を追う男」の肩書で冒険活動を続ける。秋田大在学中の2005~06年、南米大陸のエクアドルからアルゼンチンまで1万1000キロを自転車で縦断。10、11年に北米ロッキー山脈の計5300キロを縦走。12年に南米アマゾン川1200キロをいかだで下った。14、15年はカナダ北極圏で計1250キロを単独踏破。16年はグリーンランド北極圏750キロを単独踏破。21年に白瀬中尉の最終到達点「大和雪原」を経由して、南極点まで単独踏破することを目指している。著書に「次の夢への一歩」(角川書店)がある。

COLUMN