THE INTERVIEW 005

冒険アングラー ペスカトーレ中西 【前編】

冒険アングラー ペスカトーレ中西【前編】

THE INTERVIEW 005

冒険アングラー ペスカトーレ中西 【前編】

この男、只の釣り人にあらず。これまでに釣り歩いてきた国はアジアから南米まで15か国以上。不良警官に賄賂を要求されても、拳銃強盗に遭っても、直接目にしたい魚のためなら地球の裏側、日本人未踏の秘境まで冒険をしに行く男なのです。

「ただいま」と言える場所

「お前たちが追い求める魚の楽園はこの上(流)にある。ただ、そこに行くのであれば命の保証はできない」

村長が言ってるのは、その上流付近の山中にあると言われている麻薬カルテルのことだろう。さて、どうしたものか……。

ここコロンビアにやってきたのは、ターコイズブルーに輝くウンビィという魚を追い求めて。

「熱帯魚をやってる人なら知ってるかもしれないですが、フラワーホーン、の原種と言われる青い魚がいて、それにひと目惚れして、釣りに行ったんです」

きっかけは知り合いに1枚の写真を見せられたこと。その雄々しいコブと、鮮やかな青色に魅せられた。すぐにその魚について調べると、コロンビアのマグダレナ川にいるという情報だけわかった。

「なので、だいたい(川の)この辺りだろうって見当をつけて、逢いに行くことにしました」

コロンビア最大の河川、マグダレナ川。その全長は1540キロにもおよぶ。これは日本の本州の全長とほぼ同じ。広大すぎる範囲からはたしてどうやって見つけるのか。

答えは地道な聞き込みだ。首都ボゴタから長距離バスに乗り、マグダレナ川の目星をつけたエリアにある河畔の町にたどり着くと、そこから聞き込みを開始した。まわるのは港や市場など。そこに目当ての魚がいればよし。いなくても漁師に写真を見せて何かしらの情報を引き出せれば大きな前進だ。

そうして何日かかけていくつかの町をまわっていくと、「その魚なら知っている。ここよりもさらに山奥の村にいる」と言う男と出会えた。

拠点とした村より、連日山道、川面を歩き上流部へと釣り歩いていく。このどこかにいるという青い宝石を求めて。

その男に案内してもらったのが今回の拠点となったアンデス山奥の村であり、冒頭の言葉は、村に初めて訪れた日本人を大歓迎してくれたのちに、村長が中西氏らにした忠告であった。

冒険と聞くと、目的を達成するためにはときに危険を冒さないといけない、というイメージを持つ方もいるかもしれない。だが、中西氏は真逆だ。危機回避能力の高さこそが冒険家の必須スキルだと言う。なので、このような局面では、ガイドブックやネットの情報ではなく、信頼できる現地の人の言葉を頼りに判断する。そうやって、齢31にして、5度の南米釣行、世界15か国以上での旅を果たしてきた。このように目的を断念せざるを得なかったことも多々ある。

ところが、このときは落胆した中西氏らのようすをみて、村長が別案を提案してきた。「楽園には行けないが、別の山奥にもっと安全な場所がある。そこでなら釣りをしても大丈夫だろう」。そうして、案内役としてホセという村の青年を紹介してくれた。彼もまた釣りをするらしい。

翌日から川を遡上し目的の釣り場を目指した。
川を上っていくことで姿を現すアンデスの川魚たち。
途中、黄金色の猛魚、ドラードの入れ食いも体験できた。


そして、さらに上流へと進むと、本命の“青”に出会うことができた。

成長するにつれ体の青色が濃くなっていくウンビィ。これもまだ若魚。現地での呼び名はモハラ・アズール。「輝く青」を意味する。

目標にしていた立派なコブを持つようなサイズには出会えなかったが、写真でしか見たことがなかった幻の魚を手にすると、うれしさのあまり自分の手が震えていることに気づいた。

案内をしてくれたホセとも、日本から持ってきた釣り道具を貸して、一緒に釣りをした。彼の釣り方は釣り糸とルアーだけを結び、手で投げ入れる手釣りスタイルだったので、中西氏らの釣り方に興味津々だったのだ。何より、釣りは喜びを分かち合えたほうが楽しいものだから。

そうして、アンデスの山奥での夢のような5日間が終わり、村を離れるときがきた。謝礼の交渉もまた旅のスキルである。いつもであれば協力を依頼する際にその金額も取り決めるのだが、今回はそのあたりをはぐらかされてしまっていた。寝床用に小屋を貸してくれたりした村長に礼を言い、5日間も共にしてくれたホセに謝礼を支払おうとした。

ところが、受け取ってくれなかった。

「オレは、お前たちと釣りができて、楽しかった」

だから、かわりに、

必ず、「またいつか遊びに来てくれ」

そう、言ってくれた。

釣りは一緒にしたほうが楽しい、ホセもまたそう思っていた。目頭が熱くなるのを堪えつつ、京都出身の中西氏は「あかんで、あかんで!」と食い下がる。ホセが感謝してくれたように中西氏もまた楽しかった時間への礼を伝えたかった。だが、どちらもゆずらない。

そこで中西氏はこの滞在期間中、ホセに貸していた釣り道具の一式をプレゼントすることにした。

「釣り具って、コロンビアでは手に入りにくいので、これには彼も喜んでましたね 笑」

もちろん、それだけではないだろう。それは、「またいつか一緒に釣りがしたい」という言葉へのイエスの返答だったからこその感激だったことは言うまでもない。

「ほんと、僕の旅って、こういう現地の人との出会いに毎回助けられていて、いまや世界中にそういう人がいて、いつか“帰らなきゃいけない”場所がいっぱいあるんです」

彼を冒険に連れ出すのは宝石のような魚たち。そして、何度も同じ地へと足を運ばせるのはこの魚をきっかけとした人との絆である。

地球の裏側に「ただいま」と言える場所がまたひとつ増えた。

釣り人から旅人へ

釣りはいつだって一番の遊びだった。

一番古い記憶は幼稚園のころ。父に連れられ近所の小川にフナを釣りに行った。小学生になると友達と行くようになり、地元、京都の宇治川にてルアー釣りを始めた。ただ、移動手段の制約があり、あまり遠くへは出かけられなかった。中学生にあがると釣りをやめる友人もいた。そんななか中西氏はテレビゲームなどで遊ぶより、本物の魚や虫を捕まえて遊ぶことによりおもしろさを感じ続けた。

「いつも図鑑を見ては、この魚かっこいいワ、こいついつか釣ってみたいワって思っているようなコでした 笑」

このころから中西氏のなかにはいつか釣ってみたい魚のリストがあったという。

「釣りって続けるほどより大きい魚を、海外だったら怪魚と呼ばれるような大型魚を釣ってみたいという人が多いと思うんですけど、僕の場合は、そういう魚も釣ってみたいんですが 笑、自分の基準で『かっこいい』『きれい』『死ぬまでに本物を見てみたい』魚というのがリストのほとんどです。そういう魚に会いに旅に出かけています」

そのリストに載っている魚たちを釣っていき、自分だけの(心のうちの)釣魚図鑑を埋めていくことが中西氏の人生の目標になっている。

ジャイアントスネークヘッドとも呼ばれるトーマンを求めて、タイ北西部に位置する国内最大のダム湖、カオレムの水面を走る。

そんな人生が大きく動いたのは、大学2回生のときの初めての海外だった。タイにトーマンという虹色の鱗をもつライギョを釣りに行った。当時はいまほどSNSが普及しておらず、ネットの情報も少なかったが、彼らが生息するという有名なダム湖の情報は見つかった。現在は旅の手配はすべて自分で行っている中西氏だが、このときは、初めての海外ということもあり、現地のガイドをお願いした。

バンコクから向かったのはミャンマーとの国境付近に位置するカオレムダム湖。次々と目の前を通り過ぎていく異国の風景。


はたして、虹色のライギョは、本当にその場所にいた。

その生命力みなぎる凶暴な引きに、釣り糸を切られ、ハリを伸ばされながらも、ついに出会うことができた。

「憧れの魚を手にしたときは震えましたね。

でも、この旅では悔しい思いもいっぱいしました」

日本から持参した釣り道具では、この外国の魚のパワーの前になすすべなく、大きいサイズは1尾も手にすることができなかった。いまでこそ海外釣行用の釣り道具を紹介するサイトなども増えたが、当時は情報がなかった。初の海外を旅し、憧れの魚に出会えた達成感と、一期一会だったかもしれない大型魚を逃してしまった敗北感。運命とは不思議なもので、このアンビバレントなふたつの感情を与えたことで、中西氏の海外釣行熱はこののち拍車がかかっていく。

また、釣り同様に感動的だったのが、未知の文化に触れられたこと、それらを大切にする人たちと出会えたこと。そう、旅で得られる魅力だった。

「その後もタイに通ったんですが、通えば通うほど、向こうでの友達や知り合いが増えていって、そうしたらホームみたいになったんです。遊びに行ったら『一緒に釣り行こうぜ』って言われて、いろんなところに連れて行ってもらったり」

コロンビアのエピソードで紹介した“海外のホーム”はこの在学期間中に初めて形成された。

また、その仲間からの情報で中西氏のリストはさらに増えていく。

「そんな感じでタイに通っていたら、“次”どうしようと思って。そのとき自分が出会ってみたい魚たちを確認してみたら、それが南米にいる魚が多かったんですよね」

それが、一生に一度の大遠征のつもりで行くことに決めた、世界最後の秘境、アマゾンへの旅へとつながる。

後編へつづく)

にしむら 西村

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