THE INTERVIEW 004

ワイルドライフクリエイター 荒井裕介

ワイルドライフクリエイター 荒井裕介

THE INTERVIEW 004

ワイルドライフクリエイター 荒井裕介

日本にブッシュクラフトを紹介した第一人者、荒井裕介氏。山岳写真、猟師、YouTuber、アウトドアスクールの講師などさまざまな活動をする氏ですが、その仕事が多岐にわたるようになったきっかけがありました。ブッシュクラフトとの出会いから、その半生を振り返り、彼が見据えるアウトドアの未来を紐解きます。

ブッシュクラフトとの出会い

このジャーナルを読んでいる方なら「ブッシュクラフト」という言葉を聞いたことがあるのではないだろうか。必要最小限の“道具”で実施するアウトドア。そのブッシュクラフトを日本のメディアにて初めて紹介したのが荒井裕介氏である。

固形燃料などを使わず、ナイフ1本でフェザースティックをつくり焚火をするなど、なるべく自然環境にあるもののみを使ってアウトドアを楽しむ。一般的なブッシュクラフターのイメージはこうだろうか? その一切の無駄をそぎ落としたスタイルに目が行きがちだが、ブッシュクラフトの本質は自然のなかで生きるための「生活の知恵」である。自然のなかを生き抜くことを主な目的とするサバイバルとは違う。ブッシュクラフターとはみずから自然と共生する道を選んだ人たちだ。

荒井氏がブッシュクラフトと出会ったのは、アメリカの大学に留学していたときである。当時暮らしていてアパートの向かいの牧場に北欧からの移民が住んでおり、その人にボウハンティングに連れて行ってもらったのがきっかけだった。

「向こうってコール猟ってのをやるんですよ。獲物はエルクっていうでっかい鹿。笛とか鹿の角同士を合わせて音を立てて、縄張り争いする習性をうまく使って狩りをする。人間は木の上にツリースタンドというやぐらを組んで、そこから弓矢で近づいてきたところを仕留める。
その猟のときに、獲物をその場で解体して食べるのに、道具をほとんど使わないんです。ナイフと、使ってファイアスターターぐらいかな。それを見せてもらったときに、『これはなんというスタイルなんだ?』って聞いたら、『ブッシュクラフトだ』と言う。
そうか、“やっぱり”これでいいんだって……」

実は荒井氏にはバックボーンがあった。そのはじまりは日本にいた小学生のときまでさかのぼる。

「親父が趣味の猟師をやってたんです。それで、当時千葉に住んでたんですけど、出稼ぎに来ていた会津マタギと知り合いになった。親父の仕事は夏が繁忙期で、夏休みに私と遊んでやれないってことで、ある年、そのマタギの集落に預けられた」

そこから、山のエリート教育がはじまった。

「尾瀬とかには行ったことがあったんで、山って登山道があるところ、ってイメージだったんですけど、いきなり違った 笑」

獲物をもとめ、道なき山中を自在に駆け巡るマタギたち。ただ、彼らに「道」がないわけではない。「道」は進めると判断したところを自らつなげていく。自分の居場所についても、山や木の位置を見て判断している。そんなことを遊びのなかで教えてもらった。いつしか道なき山に入っていくことも怖くなくなっていた。それはサバイバルとは違う。生き抜くためのスキルではなく、山と共に生きていくための、先人がつないできた知恵。現代人の多くが失った、自然との付き合い方だった。

「だから、アメリカでブッシュクラフトをみせてもらったときも、教わったというより、ああやっぱりこのスタイルでいいんだって安心したんです」

荒井氏はすでにその自然との付き合い方を日本で受け継いでいたのである。

RECONNECT

そんな特殊な経歴を持つ荒井氏だが、帰国後は大学で学んだカメラを活かしてフリーカメラマンとして働きはじめる。音楽誌、ファッション誌の撮影を手掛け、その後、大きく方向転換しエクストリームスポーツを撮りはじめる。
ところが……

「その仕事で大怪我をしちゃったんです」

ヨセミテ山中でのクライミングの撮影中だった。一命はとりとめたが、当時新婚だった彼は妻とその親族に激しく叱責された。

その後、次の仕事を探していたところ、アウトドア業界を紹介してもらう。最初は山岳カメラマンとして。ところが、彼が常人離れしたアウトドアスキルを持つことがわかると、次第に撮る側から出る側のオファーが増えていく。マタギの知恵を授かった彼は強烈な個性だった。

アウトドアを仕事にしはじめると、ここでも荒井氏は自分で判断する。昨今ブームのウルトラライトの世界に飛び込むと、このスタイルが突き詰めるとブッシュクラフトに近づくことに気づく。ならばブッシュクラフトを紹介しよう、と日本のメディアで初めて取り上げた。ところが、当時はボーイスカウトの延長だと揶揄されたりもした。それでも、彼には本質が見えていたからこそ、伝え続けた。つながることがわかっていたから、道をつくった。その後も荒井氏は自分のなかのアウトドアを拡張していく。

「日本のアウトドアって山屋、沢屋とか分かれてるじゃないですか。それもおかしいって思ったんです。本来ならどれをやってもいい。アウトドアって単純に外に出て何かをするってことなんですよ。それなのに、業界が仕切りをつくってしまっている。逆にそういう“一体感”をつくっていかないと、いつかアウトドア界も下火になっていくし、それによって得られるものも伝えられなくなってしまう」

そのアウトドアの一体感をつくるためにはどうしたよいのか? 彼は2つのことをした。

ひとつが「ワイルドライフクリエイター」という唯一無二の肩書を生み出した。

不必要な垣根をつくりたくないから、自分が発信できることをどんどん増やしていった。父と同じく、地元で猟師になった。写真を撮るだけでなく、自らのアウトドアスキルを伝える本を執筆した。動画でも伝えるべくYouTubeチャンネルも開設。

「これだけ多くのことをしはじめたら、俺の仕事って何だろう?って自分でも思って。当てはまる言葉がなかったので、自分が一番したいことを思い描いて、『ワイルドライフクリエイター』って言葉を創作したんです」

人と、自然を、リコネクトする伝道師。

肩書も道も、なければ、つくればよい。

いま、これから、伝えたいこと

そして、もうひとつしているのが、仲間をつくること。

「いま自分で山を買って、そこでアウトドアスクールをやっているんですが、それは単純にアウトドアのおもしろさを伝えるためのものではなく、“リーダーを育てる”ものとしてやっています」

荒井氏が自然の知恵を伝えなければいけないと思うようになった大きなきっかけが、東日本大震災だった。

「もともと日本は災害が多い国なんですけど、戦争などと違って、災害って話し合いとかで防げないんですよ。必ずやってくる。必ず人が死ぬ。それなのに、この国ではその災害に対しての知識を持っている人があまりにも少ない」

3.11のニュース映像を見て荒井氏は思った、自分が持っているアウトドアスキルをもった人間が、各避難所などでリーダーをしていれば、きっと、より多くの人を助けることができたのではないか。

知恵を、それがもっとも必要とされる場所へ。

加えて、アウトドアの一体感があれば、その知恵を、災害などの異常時にも、きちんと使える者が現れるはず。それは全員でなくていい。そのためのリーダーをまずはつくる。だから、一方的に伝えるのではなく、自分で判断できる人材を育てることを目標としている。

それは、荒井氏が山から教わった、もっとも大切なことだから。

にしむら 西村

INTERVEIW