THE INTERVIEW 006

アウトドアギアを哲学する男 久冨保史【後編】

アウトドアギアを哲学する男 久冨保史【後編】

THE INTERVIEW 006

アウトドアギアを哲学する男 久冨保史【後編】

アメリカにてアウトドアカルチャーの懐の深さに感激し、帰国後その素晴らしさを伝えるべくギアレビューサイト「アウトドアギアジン」をオープンした久冨氏。国内にあって一切の忖度を排したサイトはアウトドアフリークの絶大な信頼を獲得していく。そこに立ちはだかったコロナ禍。アウトドアギアジンもまた大きな壁を前にして、独自の深化を遂げていく。

唯一無二だった「誠実」

アメリカには計1年8か月滞在した。国立公園をすべてをまわることはできなかったが、帰国してやるべきことが待っていた。2013年春に日本に帰り、1年の準備期間を経て、アウトドアギアジンはローンチされた。

さて、疑問に思った人もいるのではないだろうか。アウトドアサイトはどうやって収入を得ているのか?

「幸いなことに、当時はまだそういうサイトがほとんどなく、メジャーでなくても検索の上位に来ることができたんです。半年が経つころには、ある程度の広告収入を得ることができていました」

単なる広告収入だけならこれまでのマスメディアと同じだ。ただアウトドアギアジンにしかできないと思ったことが、ウソをなくすことと広告の両立だった。

「今はどんな製品でもよほどのことがない限りは、ある一定水準を越えたクオリティを備えているものだし、また消費者も賢くなって、欠点のない製品なんてないことは理解している気がするんです。そこでアウトドアギアジンでは、それを踏まえた話、つまりいいところも悪いところも『どう良い(悪い)のか』をきちんと言うことで、それ自体がコンテンツの信頼になり魅力になるんじゃないかと思ったんです。その結果(メーカーの商品が)そこに出てるってことがPRになる、そういうスタイルになっていくと思っていたんです」

この話を説明をしてくれた際に久冨氏が例に出してくれたのが現在のユーチューバーだ。動画のなかで開けっ広げにアナウンスされる「企業案件」という名のコマーシャル。しかし、ユーチューバーと視聴者とのあいだにすでに信頼関係が築かれているため、視聴者はそれをコンテンツの一部として見てくれる。

肝心なのはいかにその信頼を獲得するか。久冨氏はそのために、レビューするギアすべてを自腹で購入し、実際にフィールドで使い込み、そのうえで自分が率直に思ったメリット、デメリットを伝えることにした。どのサイトよりも誠実であろうとしたのだ。

こう考えるようになったきっかけは、先述したアメリカのアウトドアカルチャーに触れて。メーカーの広告費欲しさに忖度するのではなく、製品の長所も短所もフラットに伝える批評。ギア開発者へのリスペクトも忘れない。アウトドアを楽しむものは皆、仲間という文化。

帰国後もアメリカにて開催されている世界最大級のアウトドア用品展示会、Outdoor Retailer(アウトドアリテーラー)に単身取材に行っていた。自分が理想とするアウトドアカルチャーを再確認できる楽しみな場だった。

そして、もうひとつが、大学時代に出会った倫理学。人として、人のために、誠実でありたい。アウトドアギアジンの信頼獲得法は、久冨保史からしか生まれ得ないものだった。

その自身の分身に彼はすべてを注ぐ。

「2015年に子供が生まれるまでは、私の24時間全部このサイトにつぎ込んでいました」

その熱意がファンを増やしていく。何より、濃い記事、自分にしか書けない記事を配信すればするほど、濃いギアフリークからレスポンスが返ってくるのが嬉しかった。新しい「仲間」が着実に増えていくのを実感できたから。

その後、アウトドアギアを紹介する競合サイトは国内でも増えていく。レビュー記事も一般的なものになるが、それによってアウトドアギアジンはより際立っていく。その誠実さは唯一無二だったのだ。そして、それゆえにアウトドアフリークたちの信頼を勝ち取っていく。

こうして少しずつ自分が憧れるアウトドアカルチャーを広めていった久冨氏だが、2020年に大きな試練が立ちはだかる。アウトドア業界全体に影を落としたコロナ禍だ。


コロナ禍に”つくった”居場所

2020年以降、現在もつづいているコロナ禍。世界中の仕事の在り方をも変えてしまったパンデミックは、アウトドアの情報サイトにどう影響したのか?

「まず、レビューのためのロケに行けなくなってしまいましたね」

東京に拠点を置く久冨氏。県境を超える移動の自粛が要請され、サイトのメインコンテンツであるレビューを実施しに行ける環境が制限されてしまった。

さらに、それまで年に1回ほど開催していたフリーマーケット、トークショーなどのファンとの交流イベント。レビューで使用したまだ使えるギアを格安で販売するなど、ファンへの感謝の気持ちを表せる場だったのだが、そちらも自粛せざるを得なくなった。

このままでは、せっかくできた居場所がなくなってしまう―――。もとめてももとめても自分の居場所が見つからなかった不安につづいて、一度築いた居場所が失われる不安をも知った。いま自分にできることは何なのか? 不安と闘いながら考えつづけた。

ただ、気づいた。それでも自分のゴールは、ぶれないことに。

「このタイミングで仕事の拠点を長野にも設けることにしました」

コロナ禍を機に二拠点生活を始めた久冨氏。選んだのは長野県の野沢温泉村。雪と山がすぐ近くにあるギアレビューに最適なロケーションだ。

県を跨いだ移動ができないのであれば、自分の居場所を変えてしまおう。長野県の野沢村に居を構えると、そこにレビューするギアを持ち込み、ひとりでの生活を始めた。曲げてはいけない部分———、フィールドで使用していないレビューでは何も伝わらない。

「また、いい機会だとも思ったんですよね。子供が生まれて、子育てはたいへんだけど楽しくて。でも、山に登れる時間は以前よりも減ってしまって。そうしたら、そのことで以前よりも山に登りたがっている自分がいることに気づいたんです。ならば、ギアと一緒に”自分も”山の近くにもっていこうと」

コロナ禍は多くの人にそれまでの人生や働き方を振り返る機会を与えた。そして、その結果、彼はアウトドアに深化する路を歩みだす。


ギアジン流のものづくり

長野に拠点をつくったことと、もうひとつ、昨年は、大きな出来事があった。それは、アウトドアギアジンとしてギアをプロデュースしたこと。近年、メインの作業着だけでなく、アウトドアウェアにも力を入れている株式会社ワークマンとコラボして、アウトドア向けのシューズを発売したのだ。

「たしか、声をかけていただいたのは、発売の1年ぐらい前、2019年の秋ごろだったと思います」

すでにその時点でワークマンのアンバサダーをしていた久冨氏、今度はそのレビューで培った知見を買われて製品開発のアドバイザーとなることを依頼されたのだった。

「ギアづくりはずっとしてみたかったことなんです。そりゃ、これだけレビューをつづけていれば、こんな製品があったら理想なのになという想いは溜まっていきますよ(笑)。それをどうにか形にできないかとはずっと思っていた。
たしかに本格アウトドアブランドの本格登山靴ではないけれど、サイトが小さいころから声をかけてくれたメーカーであるという恩義もあるし、そうした本物を知っている自分だからこそつくれる何かがあるのではないかと思って―――」

相談された価格帯では自分が理想とする登山靴はつくれない。ただ、限られた条件のなかでの理想の靴ならばつくれるかもしれない。自分はギアづくりの常識は知らない。だから、最終的につくれるかつくれないかはわからない。でも、理想を伝えつづけることならばできる。ものづくりの場面においても久冨氏の哲学は貫かれた。

やると決めたら、とことん誠実に。これまでレビューしてきたギアたちと同じように、使用が想定されるあらゆる環境下でプロトをテストし、良かれと思った点はすべてフィードバックした。

そうして、アウトドアギアジンが手掛けた初のギアが昨年の夏にリリースされた。制限を設けられたことで、かえって増えた久冨氏のリクエストたち。その末に搭載されたスペックの数々については、ぜひアウトドアギアジン内の記事を読んでほしい。そちら以上にこのギアについて正確に書かれている記事はないだろうから。

なので、この記事では久冨氏の物語の、エピソードのひとつとして、結末だけをお届けしたい。自身がプロデュースした初のギア、それに対して久冨氏は、「史上最速の」と銘打ち、アウトドアギアジンにレビュー記事を掲載する。本人が書くものなのだからレビューではなく解説では?と思った方もいるかもしれない。だが彼は、渾身の処女作についても、“いつもどおりに”レビューをしたのだ。

長所だけでなく短所もすべて明らかにし、
山で使えるものを目指したが、決して「登山靴」ではないことを明記し、
自分が開発者のひとりとして何を意図したかも包み隠さず話し、
何よりも、初心者のために、使用するにあたっての注意を事細かに記した。

自分が世に送り出すものだからこそ、むしろいつも以上に厳正に批評した。

そうすることが、誠実だと考えたのだ。


その誠実すぎるレビュアーが世にお送り出したものが売れた(受け入れられた)かなど、書くまでもないだろう。
こうしてアウトドアギアジンはその信頼の高さをまた別の形で証明することとなった。


エピローグ

インタビューの最後にいつもの質問をぶつけてみた。

この先、実現したいことは?

「これ、訊かれると思って考えてきたんですけど(笑)。実は最初にギアジンをつくったときに、もう結構、私のなかでは完成してるんですね。誰に何を言われるでもなく、自分で買って、使って、書いて、それに納得いくまで向き合って、発信する。それで対価をいただいている。そのサイクルを実現することがいちばんの理想なので、もう叶っているんです。
だから、質問に対しての答えっぽく言うのであれば、これを『つづけていく』ことですかね」

もちろん今後アウトドアギアジンで実現していきたいプロジェクトはある。でもそれも「つづけていく」ことの内に含まれる。
久冨氏らしい私欲のない回答だと納得した。ただ、何かを語るのを一瞬ためらったかのようにも見えた。そう思いつつインタビューを終了した。

すると、そんなインタビュアーの表情を読み取っていたのか、後日届いたメールのなかに言葉が添えられていた。

「(インタビューでもお話ししましたが)私は最初からアウトドアがやりたかったのではなく、紆余曲折あってたどり着いた人間です。でも、そんな人間でもアウトドアは救ってくれる。人間は好きなことを追い求めて生きていいんだってことを教えてくれたのが私のアウトドアなんです。
だから―――」

つづけていきたい。

最後に伝えたかったのは感謝の言葉。

アウトドアギアジンをつづけること、それは終生をかけた恩返しなのであった。

久冨保史(ひさとみ・やすし) 1976年、東京都台東区出身。一橋大学社会学部卒業。アウトドアギア(おもに登山系)のレビューサイト、OUTDOOR GEARZINE(アウトドアギアジン)主宰。ワークマン公式アンバサダー。大学卒業後、通信会社、ウェブ制作会社を経て、2014年にアウトドアギアジンを立ち上げる。近年はサイトの運営だけでなく、ギアの製作にも携わり、ワークマン社と開発したアウトドアシューズ「アクティブハイク」は、低価格ながら徹底した作り込みで、入荷と同時に完売する人気アイテムとなっている。

にしむら 西村

INTERVEIW